【この記事の結論・要約】
- 独身と偽っていたとしても、相手に婚姻への期待を生じさせ、その期待に乗じたといえなければ、貞操権侵害は原則として成立しないとされる方向にあります。「結婚を前提とした関係ではなかった」という反論は、慰謝料の減額を求める主張ではなく、成立そのものを争う主張である点に特徴があります。
- もっとも、「結婚の話を一度もしていない」というだけで当然に成立が否定されるわけではなく、関係の実態を総合して判断される傾向にあります。反論が通りやすい状況と、そうとはいえない状況の見極めが重要です。
- この反論を通すには、当事者間の関係が婚姻を見据えたものではなかったことを示す事情ややり取りを整理することが鍵になります。
はじめに
交際していた相手から、突然「貞操権を侵害された」として慰謝料を請求される。
ご自身が既婚であることを相手に伝えていなかった場合、こうした請求を受けることがあります。
このとき、対応の方向性は大きく二つに分かれます。
- 成立そのものを争う:そもそも貞操権侵害は成立していないとして、支払義務自体を否定する方向。
- 金額を争う(減額):一定の責任は前提としつつ、請求された金額が過大であるとして減額を求める方向。
本記事が扱うのは、このうち前者、成立そのものを争う場面です。
とりわけ「結婚を前提とした真剣な交際ではなかった」という反論は、成立を争う際の中核に位置づけられます。
金額の減額については別の記事で扱っており、両者は主張の性質が異なりますので、区別して理解しておくことが大切です。
また、成立を争う場面では、独身と偽ったといえるか(欺罔)という別の観点も問題になります。
この点も別の記事で扱います。
なお、本記事が想定しているのは、独身の相手に対して既婚であることを伏せていた側からの反論です。
相手が独身である以上、相手の配偶者から慰謝料を請求されるといった場面は問題になりません。
この点を混同した情報も見受けられますが、本記事の事案では当てはまらないと考えてよいでしょう。

貞操権侵害の中核は「婚姻への期待」にある
貞操権侵害とは
貞操権とは、誰と性的な関係を持つかを自らの意思で決める自由ないし利益を指すものとされています。
既婚であることを偽られたために、本来であれば応じなかったであろう性的関係を持つに至ったという場合に、この意思決定の自由が損なわれたとして、不法行為に基づく慰謝料請求の対象になり得ると考えられています。
成立の要件
既婚であることを伏せていた事案で、貞操権侵害の成否が問題となる場面では、おおむね次の要素が検討されるとされています。
- 相手の判断を誤らせる働きかけがあったこと:独身であると偽る、あるいは独身であると信じさせるような言動があったこと。
- 相手に婚姻への期待を生じさせ、その期待に乗じたこと:将来の結婚を見据えた関係であると相手に期待させ、その期待を利用したといえること。
- 相手がその期待ゆえに性的関係に応じたこと:婚姻への期待があったからこそ関係に応じたという結びつきがあること。
中核は「婚姻への期待」
この三つのうち、成否を分ける中核にあるのが、二つ目の「婚姻への期待」に乗じたことです。
独身であると偽った事実があったとしても、そこに婚姻への期待が介在していない関係、すなわち単に交際していただけ、あるいは身体だけの関係であったという場合には、性的関係を持つかどうかの判断が「相手が独身か既婚か」によって左右されていたとはいえないとされる方向にあります。
裁判実務でも、結婚の話が出ておらず、将来的に結婚するかどうかに関係なく性的関係を伴う交際をしていた場合には、相手が独身であるかどうかは判断の前提になっていなかったと評価される傾向がうかがえます。

「成立を争う」と「減額」は別の主張
ここで改めて確認しておきたいのが、成立を争う主張と、金額の減額を求める主張は、性質がまったく異なるという点です。
- 成立を争う:貞操権侵害は成立していない=支払義務そのものを否定する。本記事が扱う「結婚を前提とした関係ではなかった」はこちらに含まれます。
- 減額を求める:責任があること自体は前提としつつ、金額が過大であるとして減らすよう求める。
「結婚前提ではなかった」という事情は、成立を否定する方向にも、成立を前提とした場合の金額を左右する方向にも関わり得ます。
もっとも、両者を混同したまま交渉に臨むと、主張の軸が定まらず、かえって不利に働くことがあります。
まずはどちらの立場で争うのかを明確にしておくことが重要です。

「結婚を前提とした関係ではなかった」といえる典型的な状況
婚姻への期待が乏しかったと評価されやすいのは、次のような状況とされています。
いずれも、それ単独で結論が決まるわけではなく、関係の実態を総合して判断される点に注意が必要です。
- 結婚や将来の話が一切出ていなかった:交際期間を通じて、結婚・同棲・将来設計といった話題がなく、その場限りの関係にとどまっていた場合。
- いわゆる割り切った関係・身体だけの関係だった:双方が結婚を意識せず、性的な関係を主とする付き合いにとどまっていた場合。
- 一度限り、あるいはそれに近い関係だった:継続的な交際とはいえず、いわゆる一夜限りの関係に近い場合。相手が結婚を全く意識していない場合には、貞操権侵害による慰謝料請求は認められにくいとされています。
- 相手も婚姻を意識していなかったことがうかがえる事情がある:やり取りの内容や関係の持ち方から、相手方の側でも将来の結婚を前提としていなかったと読み取れる場合。
これらの状況は、いずれも「相手が独身か既婚か」が性的関係を持つかどうかの判断を左右していなかったことを裏づける方向に働くと考えられます。
「結婚前提でなければ必ず不成立」とはいえない
一方で、「結婚の話をしていなければ成立しない」と言い切ることはできません。
この点を見誤ると、反論の見通しを誤ることになります。
明確な約束がなくても期待が認められうる
結納や家族への紹介といった明確な婚約の手続きがなくても、口頭で結婚をほのめかす言動が積み重なっていた場合には、婚姻への期待が形成されていたと評価されることがあります。
「はっきりとプロポーズはしていない」という事情だけでは、期待の不存在を基礎づけるには足りないことが多いといえます。
近時は緩やかに評価した裁判例もある
近時の裁判例のなかには、明確に結婚を前提としたとまではいえない関係についても、婚姻の可能性を含んだ交際であったとして、比較的緩やかに保護の対象を認めたと見られる例もあります。
裁判所の判断は個々の事情に大きく左右されるため、「結婚を前提としていなかった」という一事をもって成立が否定されると断定することはできません。
判断は関係の実態全体で行われる
結局のところ、婚姻への期待の有無は、次のような事情を含む関係の実態全体から総合的に判断される傾向にあります。
- 出会いの経緯(婚活を前提とするサービスを通じた出会いか否かなど)。
- 交際の期間や関係の継続性。
- 結婚・将来に関する言動の有無と、その具体的な内容。
- 双方の年齢や置かれた状況。
したがって、「結婚の話はしていない」という一点だけを主張するのではなく、関係の実態が婚姻を見据えたものではなかったことを、複数の事情から立体的に示していく必要があります。
反論を支える事情・資料
「結婚を前提とした関係ではなかった」という反論を通すには、その裏づけとなる事情を整理しておくことが重要です。
請求された側として示すことが考えられるものとして、次のような点が挙げられます。
- 関係の実態を示すやり取り:結婚や将来の話が出ていなかったこと、あるいは割り切った関係であったことがうかがえるメッセージや連絡の履歴。
- 出会いの経緯に関する事情:婚活を前提とするサービスやイベントを通じた出会いではなかったなど、そもそも結婚を目的とした関係ではなかったことを示す事情。婚活を前提とする場での出会いは、逆に結婚への期待を基礎づける方向に働きやすいとされているため、この点は結論を大きく左右し得ます。
- 相手方の言動から婚姻への期待が乏しかったことがうかがえる事情:相手の側でも結婚を意識していなかったと読み取れる発言や行動。
加えて、補強的な位置づけとして、相手方が既婚であることを認識し得た事情が問題になることもあります。
相手が既婚であると薄々気づいていた、あるいは容易に確認できたのにしなかったといえる場合には、独身であると信じたことに落ち度があったと評価され、成立が否定される方向に働く可能性があります。
これらの事情は、時間の経過とともに確認が難しくなることがあります。
やり取りの履歴などは、早い段階で整理・保全しておくことが望ましいといえます。
やってはいけない対応・留意点
反論の方向性が見えても、対応を誤ると状況を悪化させかねません。
次の点に留意してください。
- 感情的に直接反論しない:相手に直接連絡して感情的なやり取りをすることは、かえって不利な言質を与えることにつながりかねません。
- やり取りの履歴を失わせない:関係の実態を示す記録は、反論を支える重要な材料になります。安易に削除しないことが大切です。
- 「成立しない」と考えても放置しない:ご自身では成立しないと考えていても、請求を放置すると訴訟に移行し、対応の機会を逃すことがあります。反論できる事案であっても、適切な時期に適切な形で主張することが必要です。
- 別個の違法評価が問題となる余地がある:事案によっては、貞操権侵害とは別の観点から、性的自己決定権に関わる違法性が問題とされる余地もあります。「結婚前提ではなかったから何ら責任は生じない」と早計に判断せず、事案の全体像を踏まえて検討することが望まれます。
「結婚を前提とした関係だったか否か」は、当事者の受け止め方によって評価が分かれやすい、繊細な論点です。反論の見通しや進め方に迷われる場合には、早めに弁護士へご相談ください。
よくある質問(FAQ)
- 独身と嘘をついていれば、遊びの関係でも慰謝料を払わなければなりませんか。
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必ずしもそうとはいえません。
独身であると偽っていたとしても、相手に婚姻への期待を生じさせ、その期待に乗じたといえなければ、貞操権侵害は原則として成立しないとされる方向にあります。
もっとも、「遊びの関係だった」という評価が客観的な事情に裏づけられているかが問われますので、関係の実態を示す材料が重要になります。 - 結婚の話を一度もしていなければ、成立しませんか。
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「結婚の話をしていない」という一事だけで成立が否定されるとは限りません。
明確な約束がなくても、結婚をほのめかす言動の積み重ねから婚姻への期待が認められることがあり、近時は比較的緩やかに評価した裁判例も見られます。
関係の実態全体から総合的に判断される点に留意が必要です。 - 「結婚前提ではなかった」という反論と、「金額が高すぎる」という主張はどう違いますか。
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前者は貞操権侵害の成立そのものを争う主張であり、後者は責任を前提としつつ金額の減額を求める主張です。
性質が異なりますので、どちらの立場で争うのかを整理しておく必要があります。減額の考え方については、別の記事で解説しています。
- 反論すれば、相手は請求を諦めますか。
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反論したからといって、相手が必ず請求を取り下げるとは限りません。
相手が訴訟に踏み切る可能性もあります。反論の見通しを踏まえたうえで、交渉と訴訟の双方を視野に入れて対応を検討することが現実的です。
まとめ
貞操権侵害の慰謝料を請求されたとき、「結婚を前提とした真剣な交際ではなかった」という反論は、成立そのものを争う中核になり得ます。ポイントを整理すると次のとおりです。
- 成立の中核は「婚姻への期待」にあり、独身と偽っていても、その期待に乗じたといえなければ原則として成立しないとされる方向にあること。
- ただし、「結婚の話をしていない」という一事で当然に否定されるわけではなく、関係の実態全体から総合的に判断される傾向にあること。
- 反論を通すには、関係が婚姻を見据えたものではなかったことを、複数の事情から立体的に示すことが鍵になること。
- 成立を争う主張と減額を求める主張は性質が異なるため、立場を明確にして臨むこと。
反論の見通しや進め方には専門的な判断が必要になります。
請求を受けてお困りの際は、早めに弁護士へご相談ください。
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