【この記事の結論・要約】
- 貞操権侵害が認められるには、性的関係があったことを前提に、相手の欺罔(独身と偽るなど)、婚姻への期待を生じさせその期待に乗じたこと、その期待ゆえに関係に応じたことが問われます。重要なのは「婚姻への期待」です。
- 裁判所は、当事者双方の事情を比較し、相手方の違法性が著しく大きいといえる場合に不法行為の成立を認める傾向にあります。
- 被害者が既婚を知っていた場合や、結婚の話が全くない関係では、独身と偽られていても成立が否定されることがあります。
はじめに
「独身だと信じて交際し、性的関係も持ったのに、相手は既婚者だった」
このような場合に問題になるのが、貞操権侵害を理由とする慰謝料請求です。
もっとも、独身と偽られていれば必ず慰謝料が認められるわけではありません。
逆に、請求された側も、事実関係によっては成立を争えます。どのような場合に成立し、どのような場合に否定されるのか。その分かれ目を判断するのが成立要件です。
この記事では、貞操権侵害の成立要件を、判例をもとに解説します。
貞操権とは
貞操権とは、誰と性的な関係を持つかを自らの意思で決める自由ないし利益をいいます。
この自由が違法に侵害された場合、被害者は不法行為に基づく慰謝料を請求できます(民法709条・710条)。
判例上の基礎となるのは、最高裁昭和44年9月26日判決です。
同判決は、情交関係をめぐる慰謝料請求について、当事者双方の事情を比較し、相手方の違法性が著しく大きいと評価できる場合には、慰謝料請求が許容されるとの枠組みを示しました。
「貞操権」という言葉自体は使っていませんが、貞操の侵害を理由とする慰謝料請求を最高裁が認めた判例と位置づけられており、その後の裁判例はこの枠組みに沿って個別の事案を判断しています。
成立の前提
成立要件の中身に入る前に、前提として必要なことが二つあります。
性的関係があったこと
貞操権は性的な自己決定に関する権利なので、性交またはこれに類する行為があったことが前提です。
交際していても、性的関係のないプラトニックな関係であれば、原則として貞操権侵害は成立しません。
被害者が独身であること
貞操権侵害を主張できるのは、独身の側です。
自身も既婚であれば、配偶者以外との性的関係はそれ自体が夫婦間の貞操義務に反するものであり、正当な期待を有するものであるとはいえないため、原則として貞操権侵害による保護は受けられません。
成立の中核は「婚姻への期待」
前提を満たしたうえで、貞操権侵害の成否は、おおむね次の三つの要素で判断されます。
- 相手が独身であると偽るなど、判断を誤らせる働きかけがあったこと(欺罔)
- 相手に婚姻への期待を生じさせ、その期待に乗じたこと
- 被害者がその期待ゆえに性的関係に応じたこと
このうち中核となるのが、二つ目の婚姻への期待に乗じたことです。
貞操権侵害が違法とされるのは、「相手が独身で、将来の結婚があり得るからこそ関係に応じた」という判断の前提を、偽りによって崩したからです。
裏を返せば、結婚の話が全く出ておらず、将来を見据えない関係にとどまっていた場合には、相手が独身か既婚かは関係に応じるかどうかの判断を左右していません。
この場合、独身と偽られていても、性的関係を決める自由が損なわれたとはいえず、原則として成立しないと解されています。
なお、結婚を前提とした正式な交際や婚約までは必要ないとされています。
裁判例には、明確な結婚の約束がなくても、婚姻の可能性を含んだ交際であれば保護の対象に含めたとみられるものもあります。
どこまでの関係で「婚姻への期待」が認められるかは、交際の経緯・期間・双方の言動から総合的に判断されます。

二つの典型類型
貞操権侵害が問題になる場面は、大きく二つの類型に分かれます。
独身・未婚と偽る型
既婚であるにもかかわらず、独身であると偽って交際し、性的関係を持つ類型です。
「独身だ」と明言する場合だけでなく、独身者限定の婚活サービスに独身として登録する、結婚指輪を外す、独身を前提とする相手の言動をあえて訂正しないなど、独身であるかのように装う行為も欺罔と評価される余地があります。
「離婚予定」と偽る型
既婚であることは明かしつつ、「妻とは離婚する」「離婚の手続きを進めている」などと偽って関係を持つ類型です。
この類型では、被害者は相手が既婚であることを知っているため、被害者の側にも一定の落ち度が考慮されやすいという特徴があります。
もっとも、離婚予定という偽りによって「離婚後に結婚できる」という期待を生じさせた点で、貞操権侵害が成立し得ます。

裁判所の判断枠組み(双方の事情の比較)
裁判所は、最高裁昭和44年9月26日判決の枠組みに沿って、加害者側の違法性(欺罔の態様・悪質さ)と被害者側の事情(落ち度の有無・程度)を比較し、加害者側の違法性が著しく大きいといえる場合に不法行為の成立を認めています。
つまり、成立要件の判断は「加害者が何をしたか」だけでなく、「被害者が既婚に気づき得たか」「関係の実態はどうだったか」を含めた総合判断です。
同じ「独身と偽った」事案でも、結論や金額が分かれるのはこのためです。
成立が認められた裁判例
実際に成立が認められた裁判例を、判断のポイントとともに紹介します。
東京地裁平成27年1月7日判決
既婚の男性が独身と偽って交際した事案です。
被害者が別れ話をした際に、将来の生活を考えているかのようなメールを送って引き留め、妻からのメールを妹からのものだと偽るなど、交際を継続させるための不誠実な言動が重ねられた点が考慮され、慰謝料100万円が認められました。
欺罔の態様の悪質さが金額に反映された例です。
東京地裁令和2年3月2日判決
既婚者の登録が禁止された婚活サイトに独身者として登録し、虚偽の説明で被害者に独身と信じ込ませた事案です。
被害者が正式に交際するまで性交渉に応じない旨を告げていたことも認定され、婚姻への期待と性的関係との結びつきが明確な事案として、慰謝料50万円が認められました。
婚活サービス経由の出会いは、結婚を前提とする場での欺罔として成立を基礎づけやすいことを示す例です。
東京地裁令和8年6月23日判決
執筆時点での当事務所の弁護士の環境では判例DBへの登載はまだ確認できていませんが、貞操権侵害の判決でニュースになった事案があります1。
知人から紹介された男性に独身であると偽られて婚約し、不妊治療を経て出産した30代女性が精神的苦痛を被った女性が、男性に対して損害賠償を請求した事案です。
裁判所は、性的関係を結ぶ相手を自ら選ぶ「貞操権」の侵害を認め、約466万円という、この種の事案ではかなり高額の支払いを命じたようです。
被害者側の事情が考慮された裁判例
一方で、被害者側の事情により金額が抑えられた例もあります。
東京地裁平成28年6月29日判決
マッチングアプリで知り合い、独身と偽って交際した事案です。
裁判所は独身と偽った事実は認めつつ、アプリの利用にあたっては利用者にも相応の注意が求められるとして、慰謝料70万円(うち30万円は性感染症をうつした点の責任)にとどめました。
出会いの経緯や被害者側の注意の程度が金額に影響することを示す例です。
このように、成立が認められる場合でも、双方の事情の比較により金額には幅が生じます。
裁判例の傾向としては、数十万円から100万円程度の認容例が多く、交際期間の長さ、欺罔の悪質さ、妊娠・中絶の有無などによって上下します。
成立が否定されやすい場合
次のような場合には、貞操権侵害の成立が否定される方向に働きます。
- 被害者が既婚であることを知っていた:知ったうえで関係を持った以上、自らの意思で選んだことになり、貞操権侵害は成立しません。むしろ相手の配偶者との関係で問題を生じ得る立場になります。
- 既婚であることに容易に気づけた(有過失):薄々気づいていた、確認できたのにしなかったといえる場合には、独身と信じたことに落ち度があるとして、成立が否定されたり金額が大きく減じられたりすることがあります。
- 結婚の話が全くない・体だけの関係だった:婚姻への期待が存在しないため、独身と偽られていても原則として成立しません。
- 相手は独身と言っておらず、被害者が一方的に信じ込んだだけだった:欺罔があったとはいえず、成立しない方向に働きます。ただし、独身であるかのように装う行為があれば別です。
- 性的関係がなかった:プラトニックな関係では原則として成立しません。
よくある質問(FAQ)
- 独身と嘘をつかれていれば、必ず慰謝料が認められますか。
-
認められるとは限りません。
独身と偽られていても、結婚の話が全くない関係や体だけの関係であれば、婚姻への期待が存在せず、原則として成立しないと解されています。
欺罔の事実に加えて、婚姻への期待とそれに乗じたことが必要です。 - 結婚の約束をしていなくても認められますか。
-
認められる場合があります。
正式な婚約までは必要なく、結婚をほのめかす言動の積み重ねや、婚活サービスを通じた出会いなど、婚姻への期待を生じさせる事情があれば成立し得ます。
裁判例には、婚姻の可能性を含んだ交際まで保護の対象に含めたとみられるものもあります。 - 相手が既婚だと薄々気づいていた場合はどうなりますか。
-
独身と信じたことに落ち度があると評価され、成立が否定されたり、認められても金額が大きく減じられたりすることがあります。
裁判所は加害者側の違法性と被害者側の落ち度を比較して判断するためです。 - プラトニックな関係でも認められますか。
-
原則として認められません。
貞操権は性的な自己決定に関する権利なので、性交またはこれに類する行為があったことが前提となります。
- 慰謝料はいくらくらい認められますか。
-
裁判例の傾向としては数十万円から100万円程度の認容例が多く、事案によってはこれを上回るものもあります。
交際期間、欺罔の悪質さ、妊娠・中絶の有無、被害者側の落ち度などによって幅があります。
まとめ
貞操権侵害の成立要件のポイントを整理すると、次のとおりです。
- 前提として、性的関係があったこと、被害者が独身であることが必要になる。
- 成立の中核は「婚姻への期待」にある。独身と偽られていても、結婚の話のない関係では原則として成立しない。
- 裁判所は、最高裁昭和44年9月26日判決の枠組みに沿って、双方の事情を比較し、加害者側の違法性が著しく大きい場合に成立を認めている。
- 被害者が既婚を知っていた・気づくことができた場合や、欺罔がない場合には、成立が否定される方向に働く。
成立要件の判断は、交際の経緯ややり取りの内容といった具体的な事実に大きく左右されます。
当事務所では、貞操権侵害の慰謝料について、請求する側・請求された側のいずれの立場でも対応しています。
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