はじめに
ある日突然、利用しているインターネットプロバイダ(ISP)から「発信者情報開示に係る意見照会書」というタイトルの書類が届き、大変驚かれ、ご不安な気持ちでお過ごしかと思います。
この書類は、ある著作権者(アニメ制作会社、アダルトビデオメーカー、漫画の出版社など)が、「あなたがBitTorrent(ビットトレント)というファイル共有ソフトを使い、著作権を侵害した」と主張し、あなたの氏名や住所、メールアドレスといった個人情報を開示するよう、プロバイダに求めていることを知らせるものです。
「身に覚えがあるが、まさか特定されるとは…」 「名前は聞いたことがあるが、違法だとは知らなかった…」 「全く心当たりがない、何かの間違いではないか…」
様々な思いが頭を巡っているかと存じます。
しかし、必要以上に慌てることはありません。
著作権者からの請求が、常に裁判所で認められるわけではないからです。
近年の裁判例では、著作権者側の調査の信頼性などに厳しい目が向けられており、情報開示が認められないケースも少なくありません。
このコラムでは、近時の裁判例を基に、BitTorrentをめぐる著作権侵害と発信者情報開示請求の現状、そして、意見照会書を受け取ったあなたが今何をすべきかについて解説します。
なお、意見照会書が届いた場合の手続の流れなどについては、こちらでも解説しています。

1. なぜ特定されたのか?BitTorrentの仕組みと著作権侵害のリスク
まず、なぜあなたが特定されるに至ったのか、その背景にあるBitTorrentの技術的な仕組みと法的な問題点を理解することが重要です。
BitTorrentの仕組み
BitTorrentは、「P2P(ピアツーピア)」方式のファイル共有ソフトです 。巨大なサーバーからファイルをダウンロードする一般的な方法とは異なり、同じファイルを共有したいユーザー同士がネットワークを形成し、個々のパソコン間で直接データをやり取りします 。
具体的には、共有される一つのファイルは「ピース」と呼ばれる無数の小さな断片に分割されます 。あなたは、他の多くのユーザーのパソコンから、これらのピースを少しずつ集めてくることで、最終的に一つのファイルを完成させます(ダウンロード) 。
「ダウンロードしているだけ」では済まされない
BitTorrentの最大のリスクは、その仕組み上、ダウンロードと同時に、あなたが保有しているピースを他のユーザーに送信(アップロード)してしまう点にあります 。
そして、ダウンロードが100%完了すると、あなたは「シーダー」と呼ばれる完全なファイルの提供者となり、他のユーザーからの要求に応じてファイルをアップロードし続ける状態になります 。
この「アップロード」行為、すなわち、著作権者に無断で不特定多数の人がファイルを受信できる状態にする行為は、著作権法上の「送信可能化権」という権利を侵害する違法行為です 。
多くのユーザーは「自分はダウンロードしただけ」という認識かもしれませんが、法的には同時に「違法アップロードに加担していた」と評価されてしまいます。
特定の方法
著作権者やその委託を受けた調査会社は、自らもBitTorrentのネットワークに参加し、著作権を侵害しているファイルを共有しているユーザーのリストを取得します 。
BitTorrentのネットワークでは、通信相手のIPアドレスが秘匿されていないため、調査会社はあなたのIPアドレスと、侵害行為があった正確な時刻を特定・記録することができるのです 。
このIPアドレスと時刻の情報を基に、プロバイダに対して契約者情報の開示を求めてくる、という流れです。
2. 情報開示請求は必ず認められるのか?裁判所の厳しい判断
意見照会書が届いたからといって、あなたの個人情報がすぐに開示されるわけではありません。
プロバイダは、裁判所の命令がない限り、契約者の同意なく情報を開示することは稀です。
そのため、著作権者は多くの場合、プロバイダを相手取って「発信者情報開示請求訴訟(又は発信者情報開示命令)」を提起します。
そして、近年の裁判では、原告である著作権者側の主張が鵜呑みにされることはなく、むしろ非常に厳しい基準でその請求が審査されています。
実際に、いくつかの請求が棄却(裁判所が訴えを退けること)されています。
(1) 調査の信頼性への疑問
裁判所が情報開示を命じる大前提は、「そのIPアドレスと時刻の人物が、間違いなく権利侵害を行った」と明白に言えることです。
そのため、著作権者側が提出する調査報告書の信頼性が、極めて厳格に問われます。
近時の裁判例では、以下のような理由で調査の信頼性が否定され、請求が棄却されています。
- 存在しない通信の混入:著作権者側が侵害の証拠として提出した通信記録の中に、プロバイダが自社のログを確認したところ「そもそも存在しない通信」や、技術的にあり得ない「使用不可能なポート番号(例:0番、1番)」が含まれていたケースがありました 。このような杜撰な調査結果では、他の正常に見えるデータも信用できないと判断されます。
- 不合理な調査結果:例えば、「同一IPアドレスを割り当てられた複数の契約者が、偶然にも全く同じ希少なファイルを、全く同じタイミングで共有していた」といった、確率的に極めて考えにくい事象が報告されている場合、裁判所は調査ソフトウェアの誤作動を疑います 。
- 調査手法の客観性の欠如:著作権者側が「テストで正確性を確認した」と主張しても、そのテストが限定的な環境で短時間行われただけであったり、原告の利害関係者のみで実施されていたりする場合、客観的な信頼性は認められにくくなります 。特に、情報流通プラットフォーム対処法ガイドライン(旧プロバイダ責任制限法ガイドライン)が定める「認定システム」ではない独自の調査ソフトウェアの場合、その信頼性の立証責任は原告側がより重く負うことになります 。
(2) 権利侵害行為と調査で特定した通信のズレ
これは少し専門的な話になりますが、非常に重要なポイントです。
情報開示請求は、「権利を侵害した通信」そのものに関する情報を求める必要があります。
多くの事案で、調査会社は「ハンドシェイク」という通信を捉えて、これを侵害の証拠としています 。
ハンドシェイクとは、簡単に言えば、ファイルを共有している相手(ピア)が本当にオンライン状態で、ファイルを持っているかを確認するための「応答確認」のような通信です 。
しかし、複数の裁判所は、以下のように判断しています。
「著作権侵害(送信可能化)が成立するのは、ユーザーがファイルをダウンロードして自分のPCに『記録』した時点、あるいはトラッカーサーバーに接続して送信できる状態になった時点である 。ハンドシェイク通信は、既に成立している送信可能化の状態を事後的に『確認』しているに過ぎず、この通信自体が権利を侵害しているわけではない 。」
つまり、著作権者側が「このハンドシェイク通信を行った人物の情報を開示せよ」と求めても、裁判所は「その通信は権利侵害そのものではないため、開示の対象にはならない」として、請求を棄却するのです。
3. もし情報が開示されたら?損害賠償請求のリスク
万が一、情報開示が認められてしまった場合、次は著作権者本人やその代理人弁護士から、あなたの元へ直接、損害賠償を求める通知書が届くことになります。
そこには、数十万円から、時には百万円を超える高額な賠償金(和解金)が記載されていることがほとんどです。
しかし、ここでも冷静な対応が求められます。
著作権者側が主張する損害額が、そのまま法的に認められるとは限らないからです。
参考になるのが、実際に損害賠償額が争われた裁判例です(大阪地判令和5年8月31日 令和4年(ワ)第9660号) 。
- 著作権者側の主張: 「BitTorrentへの参加は、他の全ユーザーと一体となった『共同不法行為』である。したがって、ファイルが最初にアップロードされて以降の全ての違法ダウンロード回数(5,053回)についての損害(約278万円)を賠償する責任がある」と主張しました 。
- 裁判所の判断: この主張を退け、「共同不法行為の責任を負うのは、客観的に侵害行為に関与していた期間に限られる」と判断しました 。そして、ユーザーが実際にファイルをダウンロードしていた「約3時間」に限定し、その間に発生したダウンロード回数(547回)を基に算定した「37,675円」を超える賠償義務はない、と結論付けたのです 。
この裁判例が示すように、仮にあなたの責任が認められたとしても、賠償額は、あなたが実際にファイルを共有可能な状態に置いていた期間など、具体的な事情によって大きく減額される可能性があります。
著作権者側の言い分を鵜呑みにし、高額な和解金を安易に支払ってしまうことは、避けるべきです。
4. 意見照会書が届いたら、まず何をすべきか
それでは、意見照会書が届いたあなたは、具体的にどう行動すべきでしょうか。
- 絶対に無視しない これが最も重要です。意見照会書には回答期限が設けられています。これを無視すると、プロバイダは「回答がないため、開示に同意したものとみなす」と判断し、あなたの情報を開示してしまうリスクが高まります。
- 自身で安易に回答・連絡しない 「開示に同意しない」とだけ回答することも一つの手ですが、不適切な反論をしてしまうと、かえって不利な状況を招くこともあります。また、慌てて著作権者側に直接連絡を取ってしまうと、法的な知識が不十分なまま、不利な条件で和解交渉を進められてしまう危険性があります。
- 速やかに弁護士に相談する 意見照会書が届いた段階で、できるだけ早く、この種の問題に精通した弁護士に相談することをお勧めします。弁護士は、あなたに代わって以下の活動を行うことができます。
- 法的な状況の正確な分析:著作権者側の主張に、前述したような調査の信頼性や法的な問題点がないか、専門的な見地から検討します。
- 意見照会書への適切な回答:あなたの代理人として、情報開示を拒否する旨の法的根拠を明確にした意見書を作成し、プロバイダに提出します。
- 著作権者側との交渉:万が一、訴訟で不利な状況が予想される場合でも、裁判例に基づいた妥当な金額での和解交渉を、あなたに代わって行います。
- 訴訟代理:著作権者側が情報開示請求訴訟や損害賠償請求訴訟を提起してきた場合、あなたの代理人として法廷で主張・立証活動を行います。
おわりに
プロバイダからの意見照会書は、あなたの平穏な日常を脅かす、非常にストレスのかかる出来事です。
しかし、ここまで解説してきたように、あなたには法的に対抗できる手段が残されています。著作権者側の請求が、常に正当なものとは限りません。
重要なのは、一人で抱え込まず、パニックにならず、専門家である弁護士の助けを借りて、冷静かつ適切に対応することです。
早期の相談が、不当な請求から自身を保護するための最善の一手となり得ます。
意見照会書が届き、どうすればよいか分からずお困りの方は、どうぞお気軽に当事務所までご相談ください。
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