はじめに
近年、労働者が自身の退職意思を会社に伝えるプロセスを代行する「退職代行サービス」の利用が広がっています。
精神的な負担なくスムーズに退職したい、会社との直接的なやり取りを避けたいといったニーズに応える形で、様々な事業者がサービスを提供しています。
これらの事業者の中には、弁護士や労働組合が運営するものもあれば、それ以外の民間企業が運営するものも存在します。
重要なのは、弁護士資格を持たない民間企業(以下「非弁護士業者」)が退職代行業務を行う場合、どこまでの行為が法的に許され、どこからが違法となるのかという問題です。
この境界線を曖昧にしたままサービスを利用・提供すると、利用者にとっては十分なサポートが受けられなかったり、予期せぬトラブルに発展したりするリスクがあり、提供事業者にとっては法律違反(非弁行為)として責任を問われる可能性があります。
実際に、本日、退職代行「モームリ」の運営会社である株式会社アルバトロス本社や都内の法律事務所などに対して弁護士法違反の疑いで家宅捜索が行われたようです(https://news.livedoor.com/article/detail/29827619/)。
この事件については、まだ捜査段階のためどのような結果となるかはわかりませんが、弁護士法違反の事実が認められる可能性もあります。
本稿では、弁護士以外の事業者による退職代行サービスに焦点を当て、日本の法律、特に弁護士法第72条の規定を基に、その適法性の範囲と限界について解説します。
法的規制「弁護士法第72条(非弁行為)」
非弁護士業者による退職代行の適法性を考える上で、最も重要な法律が弁護士法です。
特に、同法第72条は、弁護士資格を持たない者が報酬を得る目的で「法律事務」を取り扱うことを原則として禁止しています。これに違反する行為を「非弁行為」と呼びます。
弁護士法 第72条(非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
この条文の核心は「法律事務」という概念です。
非弁護士業者は、報酬を得て「法律事務」を行ってはならない、とされています。
では、「法律事務」とは具体的に何を指すのでしょうか。
判例・学説上、「法律事務」とは、法律上の権利義務に関し、争いがあり、又は争いが生ずる可能性がある事案について、法律上の効果を発生変更する事項の処理をすることを指すと解釈されています。
具体的には、以下のような行為が含まれます。
- 法律相談: 法的な見解やアドバイスを提供すること。
- 代理: 本人に代わって法律上の効果を発生させる意思表示を行うこと。
- 和解・示談交渉: 紛争の解決に向けて、相手方と条件などを交渉すること。
- 鑑定: 法的な問題について専門的な意見を述べること。
- 訴訟・不服申立て等: 裁判所や行政庁における手続きを代理すること。
弁護士法第72条がこのような規制を設けている趣旨は、法律事務が高度な専門性と倫理観を要する業務であり、資格を持たない者が安易に行うことで、国民の権利利益が害されることを防ぐ点にあります。
非弁護士業者による退職代行の「適法な範囲」- 使者としての役割
弁護士法第72条を踏まえると、非弁護士業者による退職代行サービスは、「法律事務」に該当しない範囲でのみ適法に行うことができます。
その範囲は、極めて限定的であり、基本的には「使者(ししゃ)」としての役割に留まると考えられます。
「使者」とは、本人が決定した意思表示を、そのまま相手方に伝達する役割を指します。
使者は、自らの判断を加えたり、相手方と交渉したりする権限を持ちません。
非弁護士業者が「使者」として適法に行える業務の具体例としては、以下のようなものが挙げられます。
- 退職意思の伝達: 労働者本人から「〇月〇日付で退職します」という意思を預かり、それをそのまま会社(人事担当者など)に伝える行為。ここには、業者の判断や交渉が入る余地はありません。
- 事務的な連絡の取次ぎ: 労働者本人から依頼された、事務手続きに関する連絡事項を会社に伝える行為。
- 例:「離職票や源泉徴収票などの書類を、〇〇宛に郵送してください」
- 例:「最終的な給与の振込先は△△銀行の口座にお願いします」
- 例:「貸与されている制服や社員証は、〇日に郵送にて返却します」
 
- 会社からの事務的な連絡の受領・伝達: 会社側からの、上記のような事務手続きに関する連絡や書類(例:退職手続きの案内)を受け取り、それをそのまま労働者本人に伝える行為。
これらの行為は、いずれも労働者本人が決定した事項や、単なる事実の伝達に過ぎず、法律上の権利義務に関する新たな判断や交渉を伴わないため、「法律事務」には該当しないと考えられます。
非弁護士業者は、あくまで「伝書鳩」のような役割に徹する必要があります。
非弁護士業者による退職代行の「違法な範囲」- 法律事務への抵触
非弁護士業者が「使者」の範囲を超え、「法律事務」に該当する行為を行った場合、それは弁護士法第72条に違反する「非弁行為」となります。具体的には、以下のような行為が典型例です。
3-1. 「交渉」にあたる行為
これが、非弁行為として最も問題となりやすい行為です。
「交渉」とは、単なる意思の伝達にとどまらず、当事者間の法律上の権利義務や条件について、相手方と協議し、合意形成を図ろうとする行為を指します。
退職代行の場面では、以下のような交渉が想定されますが、これらは全て非弁護士業者には許されません。
- 退職日の交渉: 労働者が希望する退職日に対し、会社側が「就業規則では1ヶ月前の通知が必要だ」「後任が見つかるまで待ってほしい」などと難色を示した場合に、業者側が労働者に代わって、退職日をいつにするかについて会社と話し合う行為。
- 未払い賃金や残業代の請求・交渉: 労働者に未払いの給与や残業代がある場合に、業者側が会社に対してその支払いを請求し、金額や支払時期について交渉する行為。
- 有給休暇の消化に関する交渉: 退職日までに残っている有給休暇の消化について、会社側が「繁忙期だから認められない」「買い取りで対応したい」などと主張した場合に、業者側が労働者に代わって消化方法や日数について会社と交渉する行為。
- 退職金の請求・交渉: 退職金の有無や金額、支払条件について、会社と交渉する行為。
- 損害賠償請求への対応: 会社側が、労働者の退職によって損害を被ったとして、損害賠償を請求してきた場合に、業者側が労働者に代わってその請求の妥当性を判断したり、減額を求めたりする交渉を行う行為。
- その他、退職条件に関する一切の交渉: 貸与物の返却方法、秘密保持義務の範囲、離職理由の記載内容など、退職に伴って生じる様々な条件について、会社側と何らかの折衝や調整を行う行為。
これらの「交渉」は、まさに法律上の権利義務に関する争いについて、当事者に代わって意思決定や折衝を行うものであり、「法律事務」の典型です。非弁護士業者がこれらの行為を行えば、明確に弁護士法第72条違反となります。
3-2. 法律相談・法的判断の提供
労働者に対して、その個別の状況に応じた法的なアドバイスや判断を提供する行為も「法律事務」に該当します。
- 例:「あなたの場合は、〇ヶ月分の未払い残業代を請求できる権利があります」
- 例:「会社の就業規則のこの部分は、法律上無効なので従う必要はありません」
- 例:「会社側の損害賠償請求には法的な根拠がありません」
- 例:「即日退職は法的に可能です」といった断定的な法的見解の提示(個別の状況による法的リスクの説明がない場合)
このような、具体的な事案に対する法的な評価や権利行使に関する助言は、弁護士のみが行うことを許された専門業務です。
3-3. 代理人としての活動
非弁護士業者が、あたかも労働者の「代理人」であるかのように振る舞い、会社に対して法的な意思表示を行ったり、交渉を行ったりすることも許されません。
「使者」は単に伝言を伝えるだけであり、代理人のように本人に代わって法律行為を行う権限はありません。
労働組合による退職代行の特例
弁護士以外で、退職に関する「交渉」が例外的に認められる可能性があるのが、労働組合です。
労働組合法では、労働組合には、使用者(会社)と労働条件等について団体交渉を行う権利が保障されています。
一部の退職代行業者は、労働組合の形式をとることで、退職日の調整や未払い賃金、有給休暇の消化といった事項について、会社と「団体交渉」を行うことができると主張しています。
しかし、この点については注意が必要です。
- 労働組合の本来の目的: 労働組合は、本来、労働者の労働条件の維持改善や、経済的地位の向上を目的として組織される団体です。退職代行のみを主たる目的として設立された団体が、労働組合法上の保護を受ける正当な労働組合と評価されるかについては、議論の余地があります。
- 団体交渉の範囲: 団体交渉は、あくまで「組合員」の労働条件に関する事項が対象です。個別の組合員の退職手続きそのものが、常に団体交渉の対象となりうるかについては、法的な解釈が分かれる可能性があります。
- 交渉の実態: 形式的に労働組合であっても、行っている業務の実態が、個別の組合員からの委任を受けて行う「法律事務」と評価される場合には、弁護士法第72条に抵触する可能性は否定できません。
したがって、労働組合を名乗る退職代行業者であっても、その適法性が完全に保証されているわけではなく、個別の活動実態によっては非弁行為と判断されるリスクは残ります。
非弁行為のリスク
非弁護士業者が非弁行為を行った場合、利用者と提供事業者の双方にリスクが生じます。
- 利用者側のリスク:
- 交渉の失敗: 会社側から交渉を求められた場合、非弁護士業者はそれに応じることができないため、退職手続きが停滞したり、労働者にとって不利な条件で決着したりする可能性があります。
- 権利実現の機会損失: 未払い賃金や有給休暇など、本来主張できたはずの権利について、適切な法的サポートを受けられずに諦めてしまう可能性があります。
- トラブルの悪化: 業者の違法な介入によって、かえって会社側との関係が悪化し、紛争が複雑化する可能性があります。
- 費用の問題: 違法なサービスに対して支払った費用は、返還されない可能性があります。
 
- 提供事業者側のリスク:
- 刑事罰: 弁護士法第72条に違反した場合、2年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金という刑事罰が科される可能性があります(弁護士法第77条)。
- 行政処分: 事業停止命令などの行政処分を受ける可能性があります。
- 民事上の責任: 利用者や、交渉を妨害された会社側から、損害賠償請求訴訟を提起される可能性があります。
- 信用失墜: 非弁行為が発覚すれば、社会的な信用を失い、事業の継続が困難になります。
 
おわりに
弁護士資格を持たない民間企業による退職代行サービスは、その業務範囲が「使者」としての意思伝達や事務連絡の取次ぎに厳格に限定されている限りにおいて、適法に行うことができます。
しかし、退職日、未払い賃金、有給休暇、退職金など、法律上の権利義務に関わる事項について、会社側と何らかの「交渉」を行うことや、個別の事案に対する法的なアドバイスを行うことは、弁護士法第72条に違反する「非弁行為」となります。
退職代行サービスの利用を検討する際には、その事業者が弁護士(または弁護士法人)であるか、労働組合であるか、それ以外の民間企業であるかを確認し、それぞれの法的な権限の範囲を理解することが重要です。
特に、会社との間で何らかの交渉が必要となることが予想される場合(例:未払い残業代がある、退職日の合意が得られそうにない、会社から損害賠償を請求される可能性があるなど)には、「交渉権」を持たない非弁護士業者のサービスでは対応できず、トラブルが悪化するリスクがあります。
そのような場合には、最初から弁護士に依頼するか、あるいは交渉権を持つ労働組合(ただし、その活動実態の適法性には注意が必要)に依頼することを検討すべきです。
ご自身の状況に応じて、適切なサービス提供者を選択することが、円満かつ確実な退職を実現するための鍵となります。
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