はじめに
賃貸物件の経営において、賃借人(借主)による賃料の滞納は、貸主(オーナー)にとって直接的な経済的損失となるだけでなく、他の入居者との公平性や物件管理上の問題を引き起こす可能性もある、避けては通れないリスクの一つです。
賃借人が一時的に支払いが遅れるケースもあれば、連絡が取れなくなったり、長期にわたって滞納が続いたりするケースもあります。
このような状況に直面した場合、貸主は適切な手順を踏んで対応することが極めて重要です。
誤った対応をとると、かえって法的なトラブルを招き、問題解決を遅らせてしまう可能性もあります。
本稿では、賃借人による賃料滞納が発生した場合に、貸主が取りうる法的な対応策について、初期の督促から、契約解除、そして最終的な建物明渡しを求める法的手続きに至るまでの具体的な流れと、各段階における注意点を解説します。
賃貸借契約における賃料支払義務と滞納
まず、賃料滞納に関する法的な問題を理解する上で、賃貸借契約の基本と賃料支払義務の位置づけを確認します。
1-1. 賃貸借契約の法的性質
賃貸借契約は、民法第601条に定められる契約類型であり、「当事者の一方(貸主)がある物の使用及び収益を相手方(借主)にさせることを約し、相手方がこれに対してその賃料を支払うこと及び引渡しを受けた物を契約が終了したときに返還することを約することによって、その効力を生ずる」契約です。
つまり、貸主は物件を使用させる義務を負い、借主は賃料を支払う義務を負う、双務契約の関係にあります。
1-2. 賃料支払義務
賃料の支払いは、賃借人が負う最も基本的な義務の一つです。
支払時期や方法については、賃貸借契約書に具体的に定められているのが通常です(例:「毎月末日までに翌月分の賃料を貸主指定の口座に振り込む」など)。
 賃借人が、契約で定められた期日までに賃料を支払わない場合、それは契約上の「債務不履行」に該当します。
1-3. 借地借家法による借主保護(信頼関係破壊の法理)
一方で、日本の借地借家法は、居住の安定を図る観点から、賃借人の権利を手厚く保護しています。
そのため、単に一度賃料の支払いが遅れたという事実だけをもって、貸主が直ちに賃貸借契約を解除し、賃借人を立ち退かせることができるわけではありません。
契約解除が法的に有効と認められるためには、賃料滞納が「信頼関係を破壊する」程度に至っていることが必要とされます。
賃料滞納発生時の初期対応(任意の交渉・督促段階)
賃料の滞納が発生した場合、まずは裁判外での解決を目指し、段階的に対応を進めるのが一般的です。
2-1. 支払いの確認と初期連絡
支払期日を過ぎても入金が確認できない場合、まずは賃借人に対して、電話やメール、普通郵便などで、支払いが遅れている旨を連絡し、状況を確認します。
単なる振込忘れや一時的な資金不足である可能性も考えられます。
この段階で、支払いの意思や具体的な入金予定日が確認できれば、大きな問題に発展しないことも多いです。
2-2. 書面による請求
初期連絡後も支払いがない、あるいは連絡が取れない場合には、書面による請求を行います。
- 書面の送付: 滞納している賃料の金額、支払期日、そして指定の期日までに支払いがない場合には法的措置を検討する旨などを記載した書面を作成し、賃借人に送付します。最初は普通郵便でも構いませんが、記録を残す観点からは、特定記録郵便や配達証明付き内容証明郵便を利用することが望ましいです。内容証明郵便は、いつ、どのような内容の文書を送付したかを郵便局が証明してくれるため、後の契約解除や訴訟において重要な証拠となります。
- 連帯保証人への連絡: 賃貸借契約に連帯保証人がいる場合は、この段階で連帯保証人に対しても連絡を取り、賃借人の滞納状況を伝え、保証人としての支払いを求めることが有効です。連帯保証人は、賃借人と同等の支払い義務を負っているため、保証人からの支払いによって滞納が解消されることもあります。
2-3. 支払いに関する協議
賃借人から支払いに関する相談があった場合には、分割払いの提案に応じるなど、柔軟な対応を検討することも一つの方法です。
ただし、分割払いの合意をする際には、必ず合意書を作成し、支払計画、遅延した場合の措置(期限の利益喪失など)を明確に定めておく必要があります。
口約束だけでは、後日再びトラブルになる可能性があります。
2-4. やってはいけない対応
この段階で、貸主が自力で権利回復を図ろうとして、以下のような行為を行うことは、法的に問題となる可能性が高いため、絶対に避けるべきです。
- 鍵の交換や無断での入室: 賃借人が居住している状態で、貸主が勝手に鍵を交換したり、部屋に立ち入ったりする行為は、住居侵入罪などに問われる可能性があります。
- 家財道具の運び出し: 賃借人の所有物を無断で運び出す行為は、窃盗罪や器物損壊罪に該当する可能性があります。
- 電気・ガス・水道の停止: ライフラインを意図的に停止する行為は、賃借人の生存権を脅かす違法な行為と判断される可能性があります。
- 執拗な電話や訪問、貼り紙など: 社会通念上相当な範囲を超える督促行為は、脅迫や名誉毀損にあたる可能性があり、逆に対応を困難にします。
賃貸借契約の解除
任意の交渉・督促によっても賃料の支払いがなされず、滞納が相当期間継続した場合には、賃貸借契約の解除を検討します。
3-1. 契約解除の法的根拠:「信頼関係破壊の法理」
賃貸借契約は、貸主と借主の間の継続的な信頼関係を基礎とする契約です。
判例上、賃料の不払いが、この当事者間の信頼関係を破壊する程度に至ったと認められる場合に、貸主は契約を解除できるとされています(信頼関係破壊の法理)。
- 信頼関係破壊の判断基準: どの程度の滞納期間があれば信頼関係が破壊されたと認められるかについて、法律に明確な基準はありません。しかし、実務上は、概ね3ヶ月分以上の賃料滞納があれば、特別な事情がない限り、信頼関係は破壊されたと判断されることが多いです。 ただし、滞納期間だけでなく、滞納の理由(病気や失業などやむを得ない事情か)、これまでの支払状況(過去にも滞納を繰り返していたか)、貸主からの督促に対する賃借人の対応なども総合的に考慮されます。
3-2. 契約解除の手続き:「催告」と「解除通知」
信頼関係が破壊されたと判断できる場合でも、直ちに契約を解除できるわけではありません。原則として、以下の手順を踏む必要があります。
- ① 催告(さいこく): まず、賃借人に対して、相当の期間(通常は7日間~10日間程度)を定めて、「この期間内に滞納賃料全額を支払わなければ、契約を解除します」という最終通告(催告)を行います。この催告は、賃借人に最後の支払いの機会を与えるためのものです。
- ② 解除の意思表示: 催告期間内に支払いがない場合に、改めて「催告したにもかかわらず支払いがないため、賃貸借契約を解除します」という意思表示を行います。
実務上は、「〇月〇日までに滞納賃料〇〇円をお支払いください。万一お支払いがない場合は、本書面をもって賃貸借契約を解除いたします」という内容の書面(催告および催告期間経過後の解除の意思表示を兼ねたもの、停止条件付解除の意思表示などと言ったりします。)を、配達証明付き内容証明郵便で送付するのが一般的です。これにより、催告と解除の意思表示が法的に有効に行われたことを証明できます。
3-3. 連帯保証人への通知
契約解除を行う際には、連帯保証人に対しても、契約解除の通知を送付しておくことが望ましいです。
これにより、保証人に対して、賃借人が負う原状回復義務や明渡しまでの損害金等についても保証責任を追及しやすくなります。
建物明渡しを求める法的手続き(訴訟)
契約を適法に解除しても、賃借人が任意に退去しない場合には、裁判所に訴訟を提起し、強制的に立ち退きを実現するための法的手続きに進むことになります。
貸主が自力で賃借人を追い出すことは、法的に許されていません。
4-1. 建物明渡請求訴訟の提起
- 訴訟の種類: 滞納賃料の支払いと建物の明渡しを同時に求める「建物明渡等請求訴訟」を提起します。
- 提訴先: 物件の所在地を管轄する地方裁判所(請求額によっては簡易裁判所)です。
- 訴状の作成・提出: 弁護士に依頼して、契約解除の有効性、滞納賃料額、明渡しを求める旨などを記載した訴状を作成し、証拠(賃貸借契約書、内容証明郵便など)と共に裁判所に提出します。
- 裁判期日: 訴状が受理されると、裁判所が口頭弁論期日を指定し、被告(賃借人)に訴状と呼出状が送達されます。期日では、原告(貸主)、被告双方が主張と証拠を提出し合います。賃借人が裁判に出頭せず、答弁書も提出しない場合は、貸主の請求を認める判決(欠席判決)が速やかに出されることがあります。賃借人が争う場合は、複数回の期日を経て審理が進められます。なお、この手の訴訟は、被告が代理人をつけずに本人が出頭することもよく見られます。
4-2. 判決の取得
審理の結果、裁判所が貸主の請求(契約解除の有効性)を認めると、「被告は、原告に対し、○○(建物等)を明け渡せ。」といった内容の勝訴判決が下されます。
4-3. 強制執行(建物明渡し)
勝訴判決が確定しても、賃借人が任意に退去しない場合は、判決に基づいて強制執行の申立てを裁判所(執行官)に行います。
- 執行官による手続き:
- 催告: 執行官が現地に赴き、賃借人に対して、一定の期限(通常は約1ヶ月後)までに任意に退去するよう最終通告(催告)し、その旨を公示書として室内に掲示します。
- 断行: 催告期限を過ぎても賃借人が退去しない場合、執行官は、鍵業者や荷物運搬業者と共に再度現地を訪れ、強制的に鍵を開錠し、室内の賃借人の家財道具(動産)を搬出します。この強制的な明渡しを「断行」といいます。
 
- 搬出された動産の処理: 断行によって搬出された賃借人の動産は、執行官が指定する倉庫などに一定期間保管されます。賃借人が引き取りに来ない場合、執行官は法的な手続き(売却または廃棄)によってこれを処分します。動産の保管費用や処分費用は、原則として貸主が一旦立て替える必要がありますが、後に賃借人に請求することができます。
4-4. 滞納賃料等の回収
建物明渡請求訴訟の判決には、通常、滞納賃料および明渡し完了日までの賃料相当損害金の支払いも命じられています。
賃借人がこれを支払わない場合、貸主はこの判決(債務名義)に基づき、賃借人の財産に対して強制執行(差押え)を行うことができます。
主な差押えの対象としては、賃借人の給与債権や預金債権があります。連帯保証人がいる場合は、連帯保証人の財産に対しても同様に差押えが可能です。
おわりに
賃料滞納問題は、放置すれば損失が拡大するだけでなく、解決がより困難になる可能性があります。
滞納が発生した場合、貸主は感情的にならず、法律に基づいた手順に従って、段階的に対応を進めることが重要です。
初期の督促から交渉、契約解除、そして最終的な訴訟・強制執行に至るまで、各段階で適切な法的対応をとることで、貸主の権利を確実に実現することができます。
特に、契約解除の通知や訴訟手続きには、厳格な法的要件が求められるため、手続きの初期段階から弁護士に相談し、専門的な助言を得ながら進めることが、円滑かつ確実な解決への道筋となります。
裁判手続等は時間や手間がかかりますが、適切な解決のためにも弁護士にご相談されることをおすすめいたします。
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