はじめに
傷害事件等の被害に遭われた場合、身体的な苦痛はもちろん、治療費の負担、仕事を休まざるを得ないことによる収入の減少、そして何よりも精神的なショックなど、様々な損害を被ることになります。
加害者に対して、これらの損害の賠償を求めることは、被害者として当然の権利です。
従来、このような損害賠償を求めるためには、加害者を相手取って別途、民事訴訟を提起する必要がありました。
しかし、刑事裁判とは別に民事裁判を起こすことは、被害者にとって時間的、経済的、そして精神的に大きな負担となることが少なくありませんでした。
このような被害者の負担を軽減し、より迅速かつ簡易に損害賠償を得られるようにするため、「損害賠償命令制度」という特別な手続きが設けられています。
この制度は、一定の重大な犯罪の被害者を対象としており、傷害事件もその対象に含まれます。
本稿では、傷害事件等の被害に遭われた方が、この損害賠償命令制度を利用して加害者への賠償請求を行う場合の手続きの流れ、メリット、注意点などについて、法律の規定に基づき、客観的に解説します。
損害賠償命令制度とは何か?
1-1. 制度の目的と法的根拠
損害賠償命令制度は、「犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」(略称:犯罪被害者保護法)に基づいて創設された制度です。
その主な目的は、特定の重大な犯罪(故意の犯罪行為により人を死傷させた罪など)の被害者等が、加害者(被告人)に対する損害賠償請求を行う際に、刑事裁判の成果を利用することで、より簡易かつ迅速に、そして少ない費用負担で民事的な賠償を得られるようにすることにあります。
刑事裁判では、事件の事実関係や被告人の責任について詳細な審理が行われます。
損害賠償命令制度は、この刑事裁判の審理結果を、そのまま民事的な損害賠償請求の審理にも活用することで、被害者が改めて民事訴訟で一から証拠を提出し、事実関係を立証する負担を軽減しようとするものです。
1-2. 対象となる犯罪
損害賠償命令制度を利用できるのは、以下の特定の犯罪の被害者等に限られています(犯罪被害者保護法第24条第1項)。
- 故意の犯罪行為により人を死傷させた罪
- 殺人罪(刑法第199条)
- 傷害罪(刑法第204条) など
 
- 不同意わいせつ、不同意性交等罪などの性犯罪
- 逮捕監禁罪、略取誘拐罪など
- 上記犯罪の未遂罪
本稿のテーマである傷害罪は、上記の「故意の犯罪行為により人を死傷させた罪」に含まれるため、損害賠償命令制度の対象となります。
1-3. 通常の民事訴訟との違い
- 手続きの場所: 損害賠償命令の申立ては、加害者の刑事事件を担当している地方裁判所(刑事部)に対して行います。通常の民事訴訟とは異なる窓口です。
- 審理の方法: 原則として、刑事裁判の訴訟記録を取り調べて審理が進められます。被害者が新たに膨大な証拠を提出する必要は、通常ありません。
- 審理の回数: 迅速な解決を図るため、審理は原則として4回以内で終結させることとされています。
- 費用: 申立てに必要な手数料(収入印紙代)は、請求額にかかわらず一律2,000円と、通常の民事訴訟に比べて大幅に低額です。
第2章:損害賠償命令の申立て手続き
2-1. 申立てができる人
申立てができるのは、対象となる犯罪の被害者本人、または被害者が死亡した場合などにはその相続人(配偶者、子、親など)です。
2-2. 申立ての時期
申立てができる期間は限られています。
刑事事件が地方裁判所に起訴されてから、その刑事裁判の弁論が終結するまでの間です(犯罪被害者保護法第24条第1項柱書)。
第一審の判決が言い渡された後や、控訴審(高等裁判所)の段階では、原則として申立てはできません。
したがって、制度の利用を検討する場合は、刑事裁判の進行状況を把握し、適切なタイミングで申立てを行う必要があります。
2-3. 申立てに必要な書類
申立ては、「損害賠償命令申立書」を裁判所に提出して行います。申立書には、以下の事項を記載します。
犯罪被害者保護法第24条第2項
一 当事者及び法定代理人
二 請求の趣旨及び刑事被告事件に係る訴因として特定された事実その他請求を特定するに足りる事実
これ以外の事項は原則として記載することが認められていません(同法第24条第3項)。
2-4. 損害額の算定と証拠
損害額の立証のためには、請求する損害額の根拠を示す資料を提出する必要があります。
- 治療費: 病院の診療報酬明細書、領収書など。
- 休業損害: 勤務先の休業損害証明書、給与明細、確定申告書の控えなど。
- 慰謝料: 精神的苦痛に対する賠償であり、明確な計算式はありませんが、傷害の程度、治療期間、後遺障害の有無、加害者の行為の悪質性などを考慮して算定します。過去の裁判例などを参考に、相当と考えられる金額を主張します。
- その他: 通院交通費の記録、弁護士費用など。
ただし、損害賠償命令制度では、刑事裁判の記録を主な証拠として利用するため、民事訴訟ほど厳密な損害額の立証が求められない場合もあります。不明な点は、弁護士に相談することが推奨されます。
損害賠償命令の審理と決定
3-1. 審理の開始と進行
申立てが受理されると、刑事裁判を担当する裁判体が、刑事裁判の有罪判決後に、損害賠償命令の審理を開始します。
審理は、原則として刑事裁判の訴訟記録(起訴状、証拠書類、公判調書など)を取り調べて行われます。
これにより、被害者は民事訴訟のように改めて証拠を提出したり、証人尋問を行ったりする負担が大幅に軽減されます。
3-2. 審尋期日
損害賠償命令は、口頭弁論を経ないことも可能です。
その場合、当事者(被害者と被告人)双方の意見を聴くために口頭弁論よりも簡便な審尋(しんじん)期日を開くことができます。
ただし、被告人が犯罪事実を認めている場合など、特に争点がないと判断されれば、期日が開かれずに書面審理のみで決定が出されることもあります。 
審尋期日は非公開で行われ、被害者は被告人と顔を合わせることなく、裁判官に直接意見を述べることができます。
3-3. 裁判所の決定
被害者の請求が正当であると認められた場合、被告人に対して損害賠償金の支払いを命じる決定(損害賠償命令)が出されます。
損害賠償命令が出された後の手続き
4-1. 決定に対する異議申立て
損害賠償命令の決定に対して、被害者または被告人は、送達を受けた日から2週間以内であれば、異議を申し立てることができます。
異議の申立てがあると、損害賠償命令はその効力を失い、事件は通常の民事訴訟手続きに移行します。
つまり、改めて地方裁判所の民事部で、通常の民事裁判として審理が開始されることになります。
この場合、損害賠償命令の申立ては、民事訴訟の提起(訴えの提起)とみなされます。
4-2. 損害賠償命令の効力(仮執行宣言)
被告人から適法な異議の申立てがなく、2週間の異議申立期間が経過すると、損害賠償命令は確定判決と同一の効力を持つことになります。
さらに、裁判所は、損害賠償命令を発する際に、職権で「仮執行宣言」を付すことができます。
仮執行宣言が付された損害賠償命令は、異議申立期間中であっても、民事執行法上の「債務名義」となり、直ちに強制執行(差押えなど)の手続きをとることが可能となります。
これにより、被害者は、被告人が任意に支払いに応じない場合でも、迅速に賠償金を回収することができます。
4-3. 強制執行の手続き
仮執行宣言が付された損害賠償命令、または異議申立てがなく確定した損害賠償命令に基づき、被告人が支払いをしない場合、被害者は地方裁判所に強制執行の申立てを行うことができます。
主な強制執行の方法としては、以下のようなものがあります。
- 預金債権の差押え: 被告人名義の銀行預金を差し押さえます。
- 給与債権の差押え: 被告人の勤務先に対して、給料の一部を差し押さえるよう命じます。
- 不動産の差押え: 被告人名義の土地や建物を差し押さえ、競売にかけてその売却代金から支払いを受けます。
第5章:損害賠償命令制度のメリットとデメリット
5-1. メリット
- 迅速性: 原則4回以内の審理で終結するため、通常の民事訴訟よりも短期間で結論が得られる可能性が高い。
- 費用負担の軽減: 申立手数料が一律2,000円と低額である。
- 立証負担の軽減: 刑事裁判の記録を利用できるため、被害者が独自に証拠を収集・提出する負担が大幅に軽減される。
- 精神的負担の軽減: 被告人と直接対峙する機会が少なく、非公開の審尋期日で意見を述べることができるため、精神的な負担が比較的小さい。
- 早期の回収可能性: 仮執行宣言が付されれば、確定を待たずに強制執行が可能となる。
5-2. デメリット・注意点
- 対象犯罪の限定: 利用できるのは、法律で定められた特定の犯罪に限られる。
- 申立期間の制限: 刑事裁判の第一審弁論終結までに申し立てる必要がある。
- 刑事裁判への依存: 被告人が刑事裁判で無罪となった場合や、起訴された事実と損害との因果関係が認められない場合は、損害賠償命令も認められない。
- 異議申立てによる民事訴訟への移行: 被告人が異議を申し立てると、結局は通常の民事訴訟手続きに移行するため、必ずしも迅速な解決が保証されるわけではない。
- 複雑な損害の算定: 後遺障害に基づく将来の介護費用や逸失利益など、損害額の算定が複雑な事案については、損害賠償命令制度の簡易な審理では十分な判断が難しく、通常の民事訴訟の方が適している場合もある。
おわりに
損害賠償命令制度は、傷害事件をはじめとする特定の犯罪被害者にとって、加害者に対する損害賠償請求を、より簡易・迅速に行うための有効な選択肢です。
刑事裁判の成果を活用することで、被害者の立証負担や費用負担を大幅に軽減できるメリットがあります。
ただし、利用できる期間が限られていることや、被告人からの異議申立てによって通常の民事訴訟に移行する可能性があることなど、制度の特性と限界を理解しておく必要があります。
損害賠償命令制度の利用を検討する際には、刑事裁判の進行状況を見ながら、ご自身の損害の内容や、加害者側の資力などを考慮し、弁護士などの専門家に相談の上、最適な手続きを選択することが重要です。
この制度を適切に活用することが、被害回復に向けた確実な一歩となるでしょう。
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