はじめに
近年、企業所属のVTuberが、事務所を退所(卒業)した後に個人VTuberとして「転生」するということが増えてきています。
VTuber側としては、自分についた大勢のファンを逃したくないという思いがある一方で、企業側としては、せっかく多額の資本を投下してVTuberを育ててきたのに、安易な「転生」で顧客を持っていかれてしまうという悩ましい問題があります。
このような点について、企業とVTuberとの間では、契約書上で「競業避止義務(きょうぎょうひしぎむ)」についての規定が定められていることが一般的です。
競業避止義務とは、端的に言えば「事務所を辞めた後、一定期間は同業他社で働いたり、独立して同じような活動をしたりしてはならない」という契約上の約束です。
事務所側からすれば、多額の投資をして育成したVTuberのノウハウや人気が、競合相手に流出することを防ぐための重要な条項です。
しかし、VTuber本人からすれば、これは自らの経験やスキルを活かして活動を続ける道を閉ざし、生活の糧を得る手段を奪う、「職業選択の自由」という憲法上の重要な権利を制約する重い足枷となり得ます。
「契約書にサインしたのだから、どんな内容でも守らなければならないのか」「卒業後、別のアバターや名前で、いわゆる『転生』して活動を再開することも許されないのか」。
本稿では、この点について少し考えてみます。
競業避止義務の有効性に関する一般原則
競業避止義務は、VTuber業界に限らず、様々な業界の雇用契約や業務委託契約で用いられる条項です。
その有効性を巡っては、企業の「営業の自由(競争上の利益)」と、個人の「職業選択の自由」という、2つの重要な権利が衝突するため、これまで数多くの裁判で争われてきました。
裁判所は、これらの契約条項を無制限に有効とは考えていません。
個人の職業選択の自由に対する制約が、企業の守るべき利益と比べて合理的かつ必要最小限度の範囲にとどまっているかを、以下の6つの要素を総合的に考慮して、厳格に判断します。
競業避止義務の有効性を判断する6つの要素
- ① 保護に値する企業の利益の有無 競業避止義務が有効とされる大前提は、その義務によって守られるべき「企業の正当な利益」が存在することです。判例上、これに該当するのは、一般的な業務知識や技能ではなく、その企業に固有の営業秘密や、他社が容易に模倣できない高度なノウハウ、重要な顧客情報など、価値の高い情報とされていることが多いです。誰でも知っているような情報や、個人の努力で身につけた汎用的なスキルを守るために、競業を禁止することは認められない可能性が高いです。
- ② 従業員・受託者の地位 制限を課される人物が、企業内でどのような地位にあったかも重要な要素です。企業の役員や、重要なプロジェクトの責任者など、企業の営業秘密に深くアクセスできる立場にあった者ほど、競業避止義務の必要性は高いと判断されます。逆に、そのような秘密情報に触れる機会のない一般の従業員や、限定的な業務のみを行う受託者に対して、広範な競業避止義務を課すことは、不必要かつ不合理と判断されやすくなります。
- ③ 地域の限定 競業行為を禁止する地理的な範囲が、企業の営業実態に照らして合理的に限定されているかどうかが問われます。例えば、顧客が特定の地域に集中している企業が、日本全国での競業を禁止するような条項は、必要以上に広範であるとして無効と判断される可能性があります。
- ④ 期間の限定 競業を禁止する期間が、企業の利益を守るために必要な最小限度の期間に設定されているかが、極めて重要な判断要素となります。裁判例の傾向として、1年から2年を超える期間の競業禁止は、特段の事情がない限り長すぎると判断されることが多いです。企業のノウハウや顧客情報が陳腐化するまでの時間を超えて、永続的に個人の職業選択の自由を奪うことは許されません。
- ⑤ 禁止される職種・行為の範囲 禁止される競業行為の内容が、具体的かつ合理的な範囲に限定されている必要があります。「一切の同業他社への就職を禁ずる」といった、網羅的で広範すぎる制限は、無効と判断される可能性が高いです。守るべき企業の利益と直接競合する具体的な業務内容に絞られている必要があります。
- ⑥ 代償措置の有無 これが、実務上、有効性を判断する上で最も決定的な要素の一つです。競業避止義務という特別な制約を課すことの見返り(代償)として、企業が十分な金銭的対価を支払っているかどうかが厳しく問われます。 この代償措置は、通常の給与や報酬に含まれるものではなく、例えば、在職中に「競業避止手当」のような名目で明確に支払われているか、あるいは退職時に高額な退職金が上乗せして支払われているといった、客観的に認識できる形であることが求められます。十分な代償措置が講じられていない競業避止義務は、単に企業の利益を守るため、個人に一方的な不利益を強いるものとして、無効と判断される可能性が極めて高くなります。
これらの6つの要素を踏まえ、総合的に判断した結果、競業避止義務が個人の職業選択の自由を不当に侵害するものではないと認められた場合に限り、その効力が肯定されます。
VTuberのケースにおける判断基準の具体的なあてはめ
VTuber事務所の契約書には、以下のような競業避止義務条項が定められていることがあります。
このような一見すると包括的に見える条項が、VTuberという職業の特殊性に照らしたとき、法的にどこまで有効性が認められるのでしょうか。
(競業避止義務)
乙(VTuber)は、甲(事務所)の事前の書面による承諾なく、本契約の有効期間中及び本契約終了後2年間、日本国内において、自己又は第三者の名義を問わず、VTuber、バーチャルライバー、その他本件活動と実質的に類似する配信活動、芸能活動を行ってはならない。
これまでに解説した6つの判断基準を、VTuberの実態に即して具体的に検討します。
- ① 保護に値する事務所の利益は存在するか? 事務所側が主張しうる「守るべき利益」とは何でしょうか。
- 配信ノウハウ: 配信ソフトの設定方法、効果的なサムネイルの作り方、視聴者とのコミュニケーション術など。しかし、これらの多くはインターネット上で広く共有されている情報であり、その事務所に固有の「営業秘密」と評価される可能性は低いのではないでしょうか。
- マネジメント手法: スケジュール管理やプロモーション戦略。これも、業界である程度標準化された手法であれば、保護に値する利益とは言い難いと思われます。
- 企業案件のコネクション: 事務所が独自に開拓したスポンサー企業との関係。これは正当な利益に該当し得ますが、その保護は、VTuber本人の活動全体を禁止するのではなく、特定の案件への関与を一定期間制限するなど、より限定的な方法で行われるべきです。
- キャラクターのブランディング戦略: 事務所が多額の投資を行い、キャラクター設定、ストーリー、プロモーション戦略を構築した場合、それは保護に値する利益と認められる可能性があります。しかし、その利益を守る手段は、キャラクターの知的財産権(著作権など)によって図られるべきであり、演者である個人のその後の職業活動そのものを禁止する理由にはなりにくいと考えられます。
- ② VTuberの地位は? VTuberは、事務所の経営方針や重要な営業秘密(全所属VTuberの収益データ、未公開の大型プロジェクト情報など)にアクセスできる立場にあるでしょうか。ほとんどの場合、VTuberは自身の活動に関する情報しか与えられておらず、事務所の秘密情報に触れる機会は限定的です。したがって、この要件も満たさないことが多いと考えられます。
- ③ 地域の限定は合理的か? VTuberの活動は、インターネットを通じて全世界に配信されるものであり、本質的に地理的な制約がありません。契約書で「日本国内において」と地域を限定したとしても、インターネット上の活動において日本国内と国外を明確に区別することは困難であり、事実上、全世界での活動を禁止するに等しい効果を持ちます。これは、必要以上に広範な制限であり、この点だけでも条項が無効と判断される可能性が非常に高いです。
- ④ 期間の限定は妥当か? 一般論と同様、2年という期間は長すぎると判断される可能性が高いです。VTuber業界はトレンドの移り変わりが極めて速く、2年間も活動を休止すれば、事実上、キャリアの再起は困難になります。企業の利益保護の必要性と比較しても、1年、あるいはそれより短い6ヶ月程度が合理的な期間の上限ではないかと考えられます。
- ⑤ 禁止される職種の範囲は具体的か? 「VTuber、バーチャルライバー、その他類似の活動」という文言は、曖昧で広範だと考えられます。
- どこまでが「類似の活動」に含まれるのか。アバターを使わない顔出しのゲーム実況者や、声優、歌手としての活動も含まれるのか、解釈の余地が大きすぎます。
- このような曖昧な規定は、個人の職業選択の自由を過度に萎縮させる効果を持つため、無効と判断される可能性が高いです。
- 特に、アバターや名前を変え、いわゆる「転生」して全く新しいペルソナで活動を開始することまで禁止することは、個人の人格そのものの表現活動を禁じるに等しく、法的に正当化することは極めて困難でしょう。禁止できるのは、あくまで事務所が権利を持つキャラクターを不正に利用する行為に限られるのではないでしょうか。
- ⑥ 代償措置は存在するか? これがVTuberのケースにおける重要な論点となります。事務所は、VTuberに競業避止義務という重い制約を課す見返りとして、十分な金銭的対価を支払っているでしょうか。
- 事務所が提供するアバター制作費や機材費は、あくまで活動のための「投資」であり、活動停止後の生活を保障する「代償措置」とは性質が異なります。
- 報酬として受け取る収益分配金も、活動の対価であって、競業避止義務の対価ではありません。
- 契約期間中に、通常の報酬とは別に「競業避止義務手当」のような名目で相当額が支払われていたか、あるいは、卒業時に、数ヶ月から数年間の生活を保障できるだけの高額な退職金(功労金)が支払われたか、といった明確な代償措置の存在が問われます。現実には、多くの契約でこのような明確な代償措置は講じられていないと思われます。したがって、代償措置の不存在を理由に、競業避止義務条項は無効であると主張できる可能性は高いと思われます。
結論
以上の検討を総合すると、VTuberが事務所との間で結ぶ画一的な競業避止義務条項は、
- 保護すべき事務所の利益が限定的であること
- 地域や職種の範囲が過度に広範であること
- そして何よりも、十分な代償措置が講じられていないこと
など、複数の点において合理性を欠き、VTuberの職業選択の自由を不当に侵害するものとして、無効と判断される可能性が非常に高いと言えます。
特に、アバターや名前を変更して「転生」し、新たな個人として活動を再開することまで法的に禁止することは、かなり難しいのではないでしょうか。
もっとも、企業からすれば、多額の費用と時間を投資して育てたVTuberが簡単に「転生」してしまうことが頻発するのであれば、投下した資本に対するリターンが投資に見合わないと判断することになります。
その場合、今後はVTuberに対して投資することを控えようと考えてしまう可能性もあります。
その点で、単に法的に有効なのか無効なのかというだけでは解決できない、難しい問題があるように思います。
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